A日本政策金融公庫の融資受理の経緯
当財団は日本政策金融公庫より、昭和51年(1976年)から平成6年(1994
年)までの19年間に伐採跡地117haの再造林費用として1億4,700万円の
融資を受けた。その支払金利はピーク時、年間561万円(平成9年)とな
り、金利の支払総額は1億1,594万円に達した。
この時代、財団法人日本不動産研究所の資料によると代表的なスギの山元
立木価格が㎥当たり昭和51年19,580円、同55年22,707円、同60年15,156
円、平成3年14,206円で、この10年間平均約19,100円で1ha当たりの収
入は、利用材積を1ha当たり270㎥とすると約500万円に達し、正にこの
時代の林業経営は黄金時代であったと云えよう。事実この時代財団の立木収
入は総額で約12億円に達した(表1 参照)。しかし乍ら山元立木価格は、
平成7年(2000年)11,730円に急落したあとは復調せず、その5年後には
7,794円、更にその5年後の平成17年(2005年)に3,628円、平成21年
(2009年)には2,548円へと暴落を続けた。
平成7年(1995年)、第1回理事会において、稲川事務局長は平成10年
(1998年)に到来する日本政策金融公庫よりの融資受理金返済の目途が全
くたたない旨の発言をされた。これを受けて理事会は急遽協議した結果、今
後同公庫からの新規の融資を一切中止することを決議した。この件について、
同時に指導官庁の林野庁と相談した結果、財団は三重、和歌山、山口3県の
財団山林の施業計画を現行計画のスギ35年ヒノキ50年をスギ60年ヒノキ
70年の長伐期施業計画に改変し、全山を水源涵養保安林とすることで、各3
県の知事の承認を得た。同公庫は財団が改訂施業計画の実行を前提に、実質
的に従来の融資の切り替えを行うことを認めることとなった。この結果、財
団は公庫よりの融資金の返済を平成25年まで延伸することが出来た。
このように財団設立後50年間の中、前半は立木収入が極めて好調な時代
であったにも拘らず、何故、敢えて公庫よりの融資を受けたのか、事実は全
く不明であるが、前述の通り資金需要極めて旺盛な時に将来の備えとして安
易に長期低利の資金を考えていたかもしれない。
敗戦直後の日本経済は昭和20年より同30年までの戦後復興期(実質経
済成長率8.86%)を経て、更に昭和31年より同48年(実質経済成長9.0%)
にわたる高度成長期を謳歌する時代を迎えた。同48年には住宅着工戸数が
191万戸(殆んど木造)という記録を示すに至ったが、このような好調を続
けた日本経済は当然のこと乍ら、資金需要の極めて旺盛な時代であったと云
えよう。
この頃の金融情勢は優良企業向無担保短期貸付金利、所謂長期プライムレ
ートが8.9%(1990年)という時代であったことに端的に表れている。
このような時代に貸付期間が20年、貸付金利が3.5%という超長期かつ
超低利の融資制度には格別の魅力があり、将来のインフレ対策としてもこの
資金を保持しておきたいとする潜在意識が強く働いたとしても強ち無謀と
は云えなかったかもしれない。昭和40年より第一期総合的住宅建設計画期
(1期)は昭和50年まで続き、その間前記の通り昭和48年は191万戸の
記録を示した。上記建設計画は昭和65年(1990年)まで更に続いた。
(2)基本財産である山林の一部交換
昭和43年3月29日、山口県の申し出により、山口県阿武郡むつみ村の
村有林の一部(2.387u)と財団の山口県高俣山林の一部(2.170u)と等
価交換した。